はじめ
ニーハオ!中華系男子の いっ君 です。先日、TOHOシネマズの試写会で映画『366日』を観てきた。
365日じゃ足りないくらい、あなたを愛している――
そんな宣伝文句に期待して、感動的なラブストーリーを楽しみにしていた。しかし、結果的には今年一番のハズレ作品だと感じた。
ブログを開設して以来、初めて辛口の感想を書くことになるが、ご了承願いたい。また、一部ネタバレを含むため、まだ観ていない人は注意してほしい。
ストーリー
沖縄と東京を舞台にした20年を超える切ない純愛ラブストーリー。
2024年2月29日、東京で音楽会社に勤める湊の元に、少女が訪れ、15年前に別れた恋人・美海からのメッセージが入ったMDを渡す。20年前、沖縄で美海と出会った湊は、彼女の言葉に背中を押され東京へ。再会後、幸せな日々を過ごすが、突然別れを告げてしまう。美海は沖縄に帰り、別々の人生を歩む。湊は美海のメッセージを聞き、未伝の想いと約束を果たす決断をする。
感想
美しい音楽と映像の融合
映画『366日』は、HYの名曲『366日』をモチーフに製作された作品だ。このラブソングは老若男女に親しまれており、その美しい歌詞が映画全体にも反映されている。全体的にキレイに仕上がっており、視覚的にも音楽的にも魅力的な作品だと感じた。
タイトルに込められた意味
一見、不思議に思えるタイトル「366日」。1年は普通365日だが、なぜ366日なのか。その理由は主に2つある。
1つ目は、ヒロインの玉城美海(上白石萌歌)の誕生日が4年に一度しか訪れない2月29日であることだ。特別な日に生まれた彼女を大切にしたいという思いが込められている。
2つ目は、愛が365日では足りないほど深いということだ。「普通の365日では表現できない溢れる愛」というコンセプトが、この切ないタイトルに表現されているのだろう。
定番のテンプレートに対する疑問
しかし、映画本編を観て感じたのは、予想通りの「余命もの」作品らしい展開だった。映画が始まって20分ほどで、その後のストーリーが容易に想像できてしまうほどだった。中盤に到達する前に退屈を感じ、視聴をやめてしまった。
特に以下の点が気になった。
1. 病気をテーマにした脚本のマンネリ化
主人公・真喜屋湊(赤楚衛二)が病気を理由に恋人と別れる設定だが、これは何十年も前から見られるお決まりの展開だ。さらに驚いたのは、ヒロインにも同様の余命設定が使われている点だ。一つの作品で2度も似たテーマを盛り込むのは、ストーリーの深みを損ねているように感じた。
2. 主人公の行動に対する違和感
湊は病気を理由に美海と別れる決断をするが、その行動には説得力を欠いていた。愛する人と困難を共に乗り越える選択肢がなかったのかと疑問を感じる。さらに、彼の病気は最終的に治ったのに、別れる必要が本当にあったのか、腑に落ちない展開だった。
3. ヒロインの選択肢の不自然さ
一方、美海も湊に妊娠を伝えられないまま、一人で子どもを産み育てようとする。しかし、経済的基盤も不安定な状況で、この選択は現実味に欠けている。「沖縄の実家があるから大丈夫」というのは、設定が甘すぎるように思えた。
作品全体の問題点
本作の登場人物たちは、お互いに重要な事実を隠し続ける。それが全ての問題の原因でありながら、タイトルで「愛が365日でも足りない」と謳うのは矛盾を感じざるを得ない。
まとめ
久しぶりに「これは駄作かも」と思う作品に出会った。余命ものというテーマ自体が時代遅れになりつつあるのかもしれない。今の時代に合った新しいストーリーを期待したい。
おわり
最後に、赤楚衛二について。いつも優等生や好青年の役ばかりやっているが、たまにはちょっと悪い役などにも挑戦してほしい。横浜流星のように幅広い役柄をこなすことで、さらに人気が出るのではないだろうか。
以上、『366日』の辛口レビューだった。あくまで個人的な感想なので、どうか理解してほしい。
作品情報
- 原題:366日
- 公開年:2025年1月
- 監督:新城毅彦
- 脚本:福田果歩
キャスト情報
- 真喜屋湊:赤楚衛二
- 玉城美海:上白石萌歌
- 嘉陽田琉晴:中島裕翔
- 望月香澄:玉城ティナ
- 陽葵:稲垣来泉
- 琥太郎:齋藤潤
- 橘諒太:溝端淳平
- 真喜屋由紀子:石田ひかり
- 玉城明香:里国仲涼子
- 玉城一馬:杉本哲太