いっ君のつぶ夜記

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日本による南京事件とは?映画『南京写真館』:中国人目線の感想レビュー!

はじめ

ニーハオ!中華系男子の いっ君 です。

<特別な頭出し>
こういう題材の感想記事はあまり発信するつもりはなかったが、映画好きの中華系男子として、僕の立場から日本の皆さんに本当の感想を伝えたいと思い、勇気を出して書くことにした。
政治や歴史の議論ではなく、あくまで「映画に描かれた内容を観て感じたこと」として受け取ってほしい。そんな視点を意識しながら、最後まで読んでもらえると幸甚だ。

映画『南京写真館』は、日中戦争中に起きた南京事件(南京大虐殺)を題材にした物語だ。現代の日本人にとっては衝撃的な事実を突きつける作品でもあり、戦争がどれだけ残酷で非人道的かを改めて認識させられる“教本”のような側面もある。

では早速、中国人目線で感じた本作の映画レビューを書いていく。

ストーリー

youtu.be

本作は「南京大虐殺」の最中に日本軍が残した実際の記録映像を題材にしている。
1937年、南京で郵便配達員の阿昌(劉昊然)は生き延びるため写真館の現像助手を装い、日本軍の写真現像に従事することになる。その裏で彼は中国兵士や民間人をかくまい、写真館を一時的な避難所として守り続けた。しかし日本軍の残虐行為が激しさを増す一方で、阿昌は命がけで避難者たちを安全な場所へ脱出させることに成功。さらに日本軍の南京大虐殺の証拠となる写真は世界へ広まり、戦犯裁判の証拠となった。

感想

映画『南京写真館』の感想レビューをいつもより長めに書いた。かなりの長文になるが、あらかじめご容赦いただきたい。どうか最後までじっくり読んでいただきたい。そして、あなたの感想もぜひコメント欄で聞かせてほしい。

映画『南京写真館』の登場人物の紹介

まずは、映画『南京写真館』に登場する主要人物を簡単に紹介しておきたい。ちなみに、ストーリーは基本的にこの人物たちを中心に写真館で展開されていく。

一人目:主人公の阿昌(劉昊然)
郵便局の配達員で、心優しい青年だ。日本軍に殺される寸前、写真館の人間に勘違いされ、偶然生き残る。他の人物たちをつなぐ重要な存在でもある。

二人目:日本軍の従軍カメラマン・伊藤(原島大地)
先祖の影響で軍に配属されたが、他の日本兵と違い“撮る”ことへの強い情熱を持ち、映画制作という大きな夢を抱いている。ある意味で、阿昌の命の恩人だ。

三人目:日本語通訳の広海(王伝君)
妻や子ども、そして愛人のために悩み抜いた末、自分の国とは逆側である日本軍の“従軍通訳”という道を選ぶ中国人だ。

四人目:歌い手の毓秀(高葉)
広海の愛人で、元女優の上海出身の美女だ。自分の未来を広海と日本軍の勝利に賭け、あえて南京に残った。

五人目:阿昌と偶然出会った老金(王驍)
ストーリーの中心舞台である写真館の店長で、家族四人とともに写真館の地下に日本軍の被害から身を潜めて逃亡生活を過ごしている。

灰色の時代に刻まれた“写真”と、人間たちの運命

映画全体のトーンはとにかく灰色だ。戦争という時代背景のせいで、画面の中に鮮やかな色彩はほとんど存在しない。唯一、強烈に目に残る色といえば、日本軍に踏みにじられ、殺されていく中国人たちの流した血の赤だけだ。そのコントラストがあまりにも残酷で、観ている間ずっと震え続ける。哀しみ、絶望、痛みが何度も押し寄せてくる。

僕は当事の事件を経験したことがないけれど、それでも映画を通して、その時代の中国人が背負わされた巨大な傷を強く感じた。まるで、どんな“幸福”や“美しいもの”も一瞬で色を失ってしまうかのように。

技術的にも当時はまだカラー写真がなかったから、伊藤の写真撮影や阿昌が現像した写真はすべてモノクロなのだ。そこに映るのは灰色の世界だけ。その「色のない写真」が、この南京の出来事がどれほど暗く、洗い流すことのできない痛みを残したのかを象徴しているように思えた。この映画は単なる歴史の再現ではなく、色を奪われた時代が人の心に何を残したのか、強烈に突きつけてくる作品だと僕は切に感じた。

最も重要なアイテムーー「写真」というもの

映画で忘れてはいけない最重要のキーアイテムがある。それが写真館に必ずある“写真”だ。
僕の理解では、この映画の中で写真やネガは本当にたくさんの意味を持っている。たとえば、ラストで老金が写真館で南京市民を撮ったすべてのネガ──そこには日本侵略以前の平和な時代、人々が希望と憧れを胸に抱きながら生きていた証拠と歴史の跡がそのまま残っている。それとは真逆に、伊藤が必死で追い求めていた“完璧な写真”は、自分を輝かせ、新聞の一面を飾るような栄光の証だった。さらに写真は、日本軍が南京で行った、人倫を完全に踏みにじる残虐行為を暴き出す証拠にもなりうる。だから写真は、映画全体を貫く“魂”のような存在だ。物語の中心舞台が写真館である理由、そして映画のタイトルがここにある理由も、すべてそこに繋がっている。

次に、劇中で特に“魂”を持った人物たちについて詳しく語りたい。

「阿昌」――何度も死線をくぐり抜けた小さな英雄

まず語りたいのは主人公の阿昌だ。彼の運命はまさに波乱万丈。

郵便局で配達員として働いている彼は、映画の冒頭、郵便物を届けに行ったことで南京を離れるトラックに乗り遅れてしまった。しかし「運が悪かった」と思った瞬間、あのトラックは日本軍の空襲で全滅する。結果的に阿昌は命を拾うが、これは彼の人の良さや気弱さゆえの偶然だった。その後、逃げる途中で日本軍に見つかり殺されそうになるが、彼のバッグに入っていたアルバムに日本軍カメラマンの伊藤が注目したことで、「写真館の人間だ」と誤解され命が助かる。さらに同じ中国人の広海の通訳も重なり、奇跡的に生き延びる。

さらにその後、広海と共にネガを探しに行った場面でも、食べ物を盗み食いしているところを見つかり首を斬られそうになるが、近くで取材していたアメリカ人記者に救われ、またしても命拾い。ただ首には深い傷が残った。普通の脇役ならとっくに死んでいる展開ばかりだが、阿昌だけは生き続ける。

しかし伊藤から通行証を手に入れて南京を脱出できるチャンスを得ても、老金の妻に譲ってしまう。その通行証が「処刑対象の番号」で、彼はまたも危機を逃れる。九死に一生とはこのことだ。そしてついに阿昌は「国を守りたい」「写真館で出会った仲間を守りたい」という強い意志で、逃げずに立ち向かい、自ら死を選ぶ。伊藤の刃によって倒れるが、彼が守ったネガは後に日本軍を裁く重要証拠ともなった。

阿昌が実在した人物かは分からない。しかし彼の選択には、当時の中国人の勇気と影が重なって見えた。胸が痛むほどの最後だった。

「伊藤」――写真に人生を狂わされた青年

次に語るのは阿昌の対極にいる日本軍の従軍カメラマン・伊藤だ。

彼は写真を愛し、歴史を記録するために自ら志願して日本軍の従軍カメラマンとして南京へやってきた。眼鏡をかけ少し雰囲気のある青年で、現代日本にいれば、たぶん普通にモテたと思う。ちょっとオタクっぽい雰囲気もあるが⋯

映画序盤では、日本軍の暴行に本能的な抵抗感を示していたようにも見えた。まだ人を殺したことがなく、なぜ中国人を虐殺するのか理解できていないという空気があった。(僕が勘違いした可能性もあるが⋯)だが彼は反対するでもなく、賛同するわけでもなく、ただ中立に漂っているだけだった。彼の関心は「自分が撮る写真」にしかないと思う。中国人がどう傷つこうと、多くの人が死のうと、阿昌をどう扱おうと、すべては“利用価値”があるかどうか。それが彼の判断基準だった。

しかし南京での日本軍の洗脳と周囲の残酷さに染まっていき、ついには完全に「帝国側の人間」となり、阿昌の命を断つ選択をする。自分が失ったネガ(=日本軍の罪の証拠)を取り戻せない絶望から自害し、さらに上官の井上に撃ち抜かれて死ぬ。若い人生があまりにも空虚に終わった。それでも井上は部下に「伊藤を丁重に葬れ。名誉ある戦死として扱え」と命じた。伊藤もある意味では時代に飲み込まれた犠牲者だったのかもしれない。

「広海」――家族のために裏切り続けた臆病者の末路

中国人の広海は翻訳官で、日本軍に協力して中国人を害する“漢奸”だが、本質は家族を守りたいだけの臆病な男だった。日本語ができるという理由だけで、日本軍に利用され、結果的に妻子は守れず殺されてしまう。彼自身も日本軍に裏切られ、最後は愛人(妻ではない)を守るために撃ち殺される。勇気は最後の最後でしか出てこなかった。小さくて悲しい存在だったと思う。

「毓秀」――唯一の生存者

広海の恋人・毓秀は、歌の技術と広海の助けによって通行証を得るが、彼女自身も必死に南京を生き延びていた。映画の中では唯一生き残った重要人物であり、チャイナドレスの服に縫い込んだネガが、のちの軍事裁判で日本軍を裁くための決定的証拠となる。この映画の中で、彼女ほど運の強い人間はいないだろう。

「老金」一家――照相館の“希望”と“崩壊”

写真館の主人・老金は、妻と娘、生まれたばかりの息子と共に、南京陥落後ずっと地下で生き延びようとしていた。彼は阿昌に写真現像の技術を教え、写真館を継がせようとまで考えていた。それだけ阿昌を信頼していたし、二人は師匠と仕事仲間として結びついていた。だが阿昌が通行証を譲ったことで、老金の妻と娘は「処刑対象の番号」を持つことになり、運命が狂う。老金自身も最後は赤子の泣き声のせいで日本軍にバレてしまって、命を落とす。家族を守るために必死だった彼の死は、あまりにも残酷だった。

ここまで映画の登場人物の感想を書きすぎた感もあるが、この映画のキャラクターたちは本当に一人ひとり「魂」があった。俳優の演技も魂がこもっていて、南京事変にいる人々や時代をそのまま再現してくれたように感じた。心から敬意を送りたい。

印象に残った映画『南京写真館』の場面

映画の中で印象的なシーンは数え切れない。とくに川辺での日軍の大虐殺シーンは本当に恐怖を感じた。これ以上に残酷な光景を僕は見たことがない。罪のない中国人のために黙祷を捧げたい。

井上長官による「仁義礼智信」の変わった解釈

また、井上長官が伊藤に対して語った「仁義礼智信」の歪曲解釈には怒りが湧いた。劇中の原文のセリフはこうだ。

あの者の命を守ること、それが「仁」だ。
写真館で安全の札を掛けること、それが「義」だ。
彼らに食料や薬を提供すること、それが「礼」だ。
他人の手を借りて敵を討つ、それが「智」だ。
約束通り、彼らに通行証を渡すこと、それが「信」だ。

要するに中国人を「利用するだけ利用して、最後は見捨てる」じゃないのか?殺人を聖人の言葉で美化しているだけだ。結構のいい加減だなと感じた。

まさに「殺人誅心」(和訳:人の肉体を壊すだけでなく、心も壊す)という言葉がふさわしい。

日本軍が観光気分で名所で写真撮影

皮肉なのは、侵略者である日本軍が伊藤の指示で南京の名所旧跡を聖地巡礼して、各地の前で記念写真を撮っていること。まるで観光のついでに殺しもしてきた錯覚が見えた。写真に映った彼たちに聞きたいが、その写真を後世どう見せるつもりだろうか。

阿昌と老金一家が写真館で撮った最後の写真

もちろん、心温まる瞬間もあった。阿昌と老金一家が別れる前にみんなで写真を撮る場面だ。あれは一瞬、本当に戦争を忘れるほど美しい瞬間だった。さらに老金が、中国各地へ行きたいという皆の夢を叶えるため、背景の壁紙を一枚一枚剥がしていくシーンだ。中国の大好河山は、まだ行き尽くせていないのに、日本軍に蹂躙されてしまった。その悲しさと絶望が胸に刺さった。

「大好河山、寸土不让」(和訳:広大で美しい国土、一寸たりとも譲らない)──この言葉はのちの歴史が証明した。

阿昌が死に際で伊藤に放った最後の言葉。

【我们不是朋友、绝不是!】
(和訳:私たちは友達じゃない、絶対に!)

この一言は、僕にとってかなり衝撃的だった。伊藤のほうから、わざわざ中国語で「阿昌は自分の友達だ」と言っていたのに、まさかその結末は、むしろ“友達じゃない”と完全に否定されるとは思ってもいなかった。

なんて残酷な関係なんだ、と正直胸が痛んだ。途中まで僕は、伊藤が本気で阿昌を友達だと思っている瞬間が何度もあった。だって命の恩人だし、行動だけ見れば友情の芽は確かにあったのでは?いや、単なる僕の錯覚かもしれない。

――そして、結論は……絶対に“本当の友達”を裏切っちゃいけない。

最後に

正直、このレビューを公開したらどういう反応が来るか分からない。だが映画『南京写真館』は、ここ数年で僕が観た中で最も衝撃的な映画だった。すべてが史実とは言わないが、一部は確かに歴史として存在した“消せないネガ”だ。これ以上、多くは語らない。現代の日本人たちにも、ぜひ自分の目でこの映画を観てほしい。

そしてただひとつ言いたいのは──

歴史を忘れず、平和を守り続けてほしい。
どうか、同じ過ちを繰り返さないでほしい。

作品&キャスト情報

  • 原題:『南京照相馆』(和訳:南京写真館/英訳:Dead To Rights)
  • 公開年:2025年7月
  • 監督:申奧
  • 脚本:許淥洋/張珂/申奧
  • キャスト:
    蘇柳昌:劉昊然
    金承宗:王驍
    林毓秀:高葉
    王広海:王伝君
    伊藤秀夫:原島大地

参考記事

もしよければ、下記の映画感想レビューも書いているので、合わせてチェックしてほしい。セットで読んでもらえたら、すごく嬉しい!

itsu-entame.com

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